葛西運転士と野村記者のオフレコ
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文章を書くという点では、私は花島にさえ負けている。おそらく情報の伝達にこそ文才が必要なのに。ここでいう文才は小説の類にも共通する、表現にみがきをかける才能とでもいうもの。
花島に「さえ」と言ったが、それは彼女が文章を書く仕事につかなかったためだ。それなのに彼女は私よりもよほど「ひらめき」を持っている。英語は勝てるが日本語は勝てない。昔からとてもうらやましかった。
私と花島は小学校以来の仲だ。居住区も成績もほぼ同じところで、大学も示し合わせたわけではなく偶然重なった。
そんな私たちにも別れの時がくる。花島は接客がしたいと昔から言っていたし、私は幼い頃からメディアに関わろうと決めていた。唐突に別れが決まったわけではない。ずっと前から分かっていたことだ。
大学では学科が違ったのだが、特に違和感もなくルームシェアをしていた。晴天駅から徒歩三分、築20年の2LDK。電気水道はおおまかに折半利用、冷蔵庫は内部をヒモで分ける。リビングにはミニホワイトボードを設置し、一週間の予定や伝言を各々書き込む。
四年目の冬に私が怪我をして入院するまで、お互いそれなりに健康で、大きな事故に遭うこともなく、ケンカもほどほど、なかなかに平和に暮らしていた。
その冬、凍結した道路で転倒したのだ。大人になってから転ぶと妙に恥ずかしいもので、痛いのを無視して過ごしていたのだが昼すぎになって熱が出た。
その日の講義は昼までで、花島と二人で帰宅した。どうもつらい気がする、とのんきなことを言ったら、花島に怒られた。38度7分である。
体のどこがつらいかというのも、熱のせいかよく分からない。足首が赤くなっていたのでそればかりに気をとられていた。よくよく考えると、背中もずいぶん痛い。
脱げ、と花島が歯切れよく言った。
逆らいようもなく脱がされかけ、全身に激痛が走る。と同時に、緊張が背筋をはい上がった。
救急車を呼ぼうかと言われたがなにとなく反対し、彼女と共に、一番近い林医院に向かった。
折れとるねえ。
実にのんきに医師が言った。レントゲンを撮るまでもなく、私の痛がり方でおおむね予測はつくらしい。
その林医院、運悪く病室がいっぱいで(もともとそれほど大きくないところであるので、何かにつけてすぐに満室になるのだと看護士が言っていた)よその病院に頼みましょうと言われた。
臨海でもいいですけど、と口をついて出る。遠いじゃん、と医師は首を傾げた。
しかし大学は臨海だし、馴染みはある。こう言っちゃ失礼だが医療技術的にも臨海区の方が信用できた。正直な話、晴天区の病院というのは昔ながらのところが多いので、入院となるとどうも気が向かない。
そういうわけで臨海総合病院行きとなった。その頃そこの病室は空きに空いており、医師が連絡を取るとハイドウゾドウゾとのことだったわけだが、その数日後、事件は起こったのだ。
臨海線脱線事故。
正確には獅子臨海間臨海線新快速脱線事故である。
脱線は某日21時頃であり、乗客と乗務員あわせて二十名がもれなく重軽傷を負った。重傷は乗客二人と車掌の三人。ちなみに重傷とは全治一ヶ月以上の入院治療を必要とする状態をさす。
乗客A・女性(81)は足の骨折、乗客B・男性(45)も同様。車掌(27)は腕の骨折。いずれも加えて全身打撲を負っている。
うち車掌は、なにがどうしてそうなるのか運悪く複雑骨折で、救出される頃にはショックで意識がもうろうとしていたそうだ。脱線の原因は風だということだが、当時どのような方向からどの程度の力がどの車両のどこに加わったのか、なににせよ最後尾の車両が一番ひどく地面にたたきつけられたのは確かである。重傷の三人はみな最後尾の車両に乗っていた。
大変な騒ぎだった。閑散としていた病室が一気に新たな患者で埋まり、もとからいた患者も各自テレビを見にロビーへ向かったりラジオを聴いたりと、野次馬根性を発揮して活気づいている。外は救急車やパトカーの駆ける音が入り交ざって騒然としていた。
その重傷の車掌は、向かい側の個室のようだった。車掌と聞いて花島を連想した私は、やたらと気がかりで、入れ代わり立ち代わりスーツの若者たちが廊下を過ぎるのをずっと眺めていた。
あれは同僚だろうか。晴天鉄道の。
不思議なものだ。花島が鉄道の乗務員になるとか言い出して、なんだそりゃあ、と驚愕して一年だ。全くの他人だった鉄道会社の社員が、自分たちと同じ「人間」に見えるようになっていた。
当然今までも彼らは人間だったわけだ。でも根本的に違っている。彼らは駅員あるいは車掌あるいは運転士という生き物、私たちはお客さま、彼らに私は一切興味がなかった。もっともいまだに、あちらの世界のことはよく分からない状態なのであるが。
そもそも、車掌とは、若いのか。
同じ年くらいの人間も車掌だったりする。向かい側にいる、さっきちらりと見えた顔面蒼白の青年がいくつなのかは知らないが、ともかく彼も車掌だ。車掌といえばふつうはある程度年配なのだと長らく決め込んでいたので、少し意外である。まさかさっきから出入りしているあの若者たちもみな、車掌だったりするのか?
記者になろうとするわりに私はいちいち視野が狭い。
いや知らない業界など世の中にごまんとあるのだろうけど。
だが本当に私は、見かけ倒しのお子様なのだ。わがままで自己中心的だ。彼氏ができてもすぐ別れる。色気もないし、意識も足りない。
翌々日かそれ以降。
体がなまるので、腰に大仰なコルセットのようなもの(ギプスというべきか)を巻いて病室を出る。そういえばまだ言っていなかったが肋骨の背中側が一本折れている。
正面の病室の名札を見ると、葛西千博とあった。
(ちひろ)
いい名前じゃないか、と感心する。そしてとりあえず廊下の端まで歩いてみた。ああ、結構大丈夫なものだ。汗もかかない。
回れ右をして壁伝いに、ゆっくりと戻る。その頃葛西千博の病室から、背の高いスポーツ刈りの青年が現れた。スーツだった。
開けといて、と病室からかかる声に青年は反応し、ドアを開け放すと中に向かって、じゃあな、と言った。
青年はどこにでもあるような低い声だったが、開けといては少し違っていた。ただ、高くもなく低くもないが、澄んだ声であった。
興味が湧いた。
速度を変えずに病室まで歩き、ちらりと葛西千博の個室を見やる。これまた青年が一人、窓を開けているところだった。吹きこんだ風が純白のカーテンをなで上げる。青年の手首や首筋は異常に細かった。薄命を思わせる頼りない背中だ。
「……」
見入っていると、青年が振り返った。彼は一重で目がくっきりとして、鼻筋の緩やかな、口のつくりが大きい男だった。唇からこぼれたような小さなほくろは二、三。喉仏が鋭く、わずかにエラが張っている。
(愛嬌がある)
と、思った。イケメンと言っていいかどうかは微妙な線だが、三枚目と言うと言いすぎ。2.5枚目くらいの顔立ちだろうか。
ふいに青年が微笑した。そんな顔をされるとは思いもしなかったので、返す笑顔が不自然に引きつる。微笑すると青年は、また一段階愛嬌を増してかわいかった。
反射的に顔をそらしてそそくさと病室に戻った。
その日はそれだけだった。
たぶんその翌日。
昨日は予想外の展開のせいで運動が中途半端になってしまったが、今日はもっと歩こう、と病室を出た。
例の青年が病室から出てきたのと同時だった。
「どうも」
彼は違和感なくひょいと会釈して、また微笑する。私はコンニチワと口ずさんだ。緊張が前面に押し出されている。こんな声を出す自分がきもちわるい。
青年は廊下を歩き出した。
同じ方向なので仕方ないが、一歩ほど遅れて私も歩く。
するとほどなく、青年がちらりと振り返る。
「どちらまで?」
やはり澄んだ声の持ち主だ。
「……散歩、を」
「散歩」
「病院の中だけですけど」
「へえ」
無駄に優しく青年は笑った。なんだろう、この人。
「リハビリもかねて?」
「……そんなにたいしたケガじゃなくて」
「腰ですか」
「肋骨です。凍結した道路で転んで」
「うーわ痛そう」
横顔が「痛そう」に歪む。
そういうあんたは「重傷」なんだろ?ラジオで聴いた。
「……車掌さんは?」
「あ、え、なんだバレてんのか」
「バレてるっていうか。大丈夫ですか」
「そりゃもう、丈夫なんでね」
とても丈夫そうには見えない体躯だが。
いやもしかすると人は見かけによらなくて。
「俺も散歩なんです」
唐突に彼は言った。
口調から感じとれる趣を私は、無視できない。声が澄んでいるのと、2.5枚目であるのと、無駄に優しげな感じに、十代の少女のように惹かれている。
一緒に散歩しましょうか、とはどちらも言わなかったが、何となく同じ道を行き、階段を上ったり下りたりする頃には彼が手の平を差し出すもんだから迂闊にも握ってしまい、そういうスキンシップによって心理的距離をにわかに縮めた私と葛西千博は、以降の日も一緒に散歩をするようになったのだった。
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