A-01


 郵便配達のバイク音で覚醒した。日曜だったがその日は不思議とすんなり起きて、パジャマのまま新聞を取りに一階へ下りる。
 新聞の上の隙間に、厚みのある紺の洋形封筒が押し込まれていた。取り出してみると銀の箔押しでHappy Birthdayとある。差出人名を見るまでもなく、誰からなのか分かった。
 取り忘れかけた新聞を抱え、封筒を開けながら階段を上る。厚みのほとんどはエアーキャップ(クッション材、俗に言うプチプチ)で、中には封筒よりも二回りほど小さな包装が埋もれていた。思わず僕は立ち止まって取り出した。指先で持った感触の通り、包みの中にはアクセサリーが入っていた。
「ブレスレット…」
 寝起きの声が枯れていることにようやく気づく。ブレスレットはシルバーで、繊細すぎず、ゴツすぎない。自分でアクセサリーを買うことはないので、余計に貴重で嬉しかった。あの人のことだから、デザインを吟味してよくよく悩んだに違いない。その日はずっと部屋にいたが、そのブレスレットを一日中付けて過ごした。
 しかし翌日にそれを付けたまま玄関をくぐろうとして、不意に「もう一つのブレスレット」が頭をよぎった。一昨年、三笠にもらったもので、アクセサリー慣れしていない僕は結局あまり付けることなく、部屋に飾りっぱなしにしていたのだった。
 玄関で十数秒逡巡し、結局今年のブレスレットも外した。喜びの余韻もあって家で留守番させる気にはならず、鞄の中に押し込んで、マンションを出る。付けたいのに付けられない。付けるなら両方かもしれない。付けないにしても両方だ。
 それでも三笠にしろ、葛西さんにしろ、僕から贈ったものはちゃんと使う。三笠は僕の選んだネックレスをしているし、葛西さんも僕の選んだネックレスをしている。別々の種類のアクセサリーにすればよかったと、最近になって思うようになった。何が悪いと言うわけでもない。でも、二人は同じく制服の下に、僕からのネックレスを隠しているのだ。
 駅前に来てまた不意に思い至り、ブレスレットを覗いた。ブレスレットには翼を広げたカモメのトップがぶらさがっている。
――去年僕が彼にあげたネックレスでは、シルバーのカワセミが羽ばたいていたはずだ。


 臨海電力の本社は臨海区にある。研究機関の一部も本社の敷地内。僕は数年前に入社し、今年度、主任研究員となったばかりだった。いい機会なので名刺も改めた。臨海電力・技術開発部・エネ研究課・エネ研究グループの主任研究員。
 20代のうちにここまでこれたことは奇跡に近い、と個人的には思う。僕なりの人生設計では、ここまでくるのに30代半ばくらいを覚悟していた。今年で僕は29になった。
 職場に入るとクラッカーの破裂音が立て続けに耳をつんざき、見ると同僚たちの祝福で、駅から研究棟への道にあるケーキ屋のシフォンケーキが、ちょこんと僕のデスクの上にあった。そのささやかさな可愛らしさがデスクに映えて、僕は祝われることの喜びを急激に感じ、思わず目を潤ませていると、笑われてしまった。


 ブレスレットを付けられない。時々の連絡で事足りる。プロポーズができない。
 ブレスレットを付けられない。時々の連絡で事足りる。無意識に目をそらしていることがある。それは一生、誰にも言わない。
 同じ鳥でもカモメは海で、カワセミは川だ。彼は侮れない。住む世界が違う鳥にしたのは、意図的な選択なのだろうか。
 その距離感に僕は当面の安堵を得て、まだ大丈夫と誰かに向かって言い聞かせ、結局しまいには、ブレスレットを付けられない。





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